「すらぺ言うんじゃねえで。
前世ちゅうんは、俺の父ちゃん母ちゃんだんべ。
父ちゃんは、えらい船乗りだったし、母ちゃんは村のもんに料理教えてたんだで!
ばち当てるんだら、俺に当てりゃいいがな。
何で、俺の子だけに当てやがんだ。」
殴りかかる父を、母は飛びついて防いだ。
私が目が見えなくなったことを聞きつけて、色んな人たちが何か集まりへの誘いにやってきた。
拝めばいいとか、お札をどこかにお備えするとか、
何かを買ったらいいとか話を聞きにこいとか。
誘いにきてくれたおじさんおばさん達みんな私のことを心配してくれてのことだった。
そんな人たちに父は大声で怒鳴りつけ追い出していった。
でも、どの人たちも怒ることもなく、また来るねと言って私の手を握って帰っていった。
占い師が来た時は父は、どういうわけだか話をよく聞いていた。
うちの台所の流しとガス台が並んで北に向いているのが災いしたというのだ。
何日か後、西側の台所の木の柱に穴が開けられ、ガス管が通された。
ガス台が西側に移されて、そこにあった食器棚が流し場と並べられたんだ。
ガス台が流し台の横の食器棚の向こうだから、さぞかし不便だったろう。
そのガス台では土瓶がかけられ、どくだみがことこと煮出されたり、やつめうなぎや朝鮮にんじんが煎じられたりしていた。
四畳半と六畳の部屋は息苦しいほどにくさかった。
子供の私にはとても飲めるしろものではなかったけれど。
砂糖を入れたから、はちみつを入れたからと言い聞かせられながら、時には怒られながら飲まされていたんだ。
せっかく西に移したガス台で煎じたのに少しの効果もなかったのは残念だ。
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