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2018年3月29日木曜日

座敷牢

座敷牢なんて言葉
知らなかったのだけれど
私が盲学校高学年の時に
二十歳過ぎた体の小さな
全盲の女性が商学部3年生に
入学してきた。

その人は寮にも入ることになって
私と同室だった。


この二十歳過ぎるまで
ほとんど外に出ることが
なかったという。

狭い畳のお部屋に
ポータブルのトイレと
ラジオだけがあったと言う。

家族はみんな親切で
よく声を掛けてくれていたらしい。

目が悪いから
お箸が使えないから
っと言うんでいつも
おにぎりかパンを
食べていたという。

一番好きなものは
ピーナツバターのパンと
のりたまのおにぎり。

で、嫌いなものはとんぼ。

「どうしてとんぼ嫌いなの?」

「とんぼはブンブン怖い音して
噛み付くから怖いし嫌い。
世界で一番怖くて嫌い。」
っと言っていた。

彼女の手や足は
赤ちゃんの肌のように
薄い皮膚でふわふわ
つるつる綺麗な肌をしていた。

足なんかすっごく小さくて
靴は子供のそれのようだった。

布を巻かれていた訳でもないのに
纏足みたい。

ラジオをよく聞いているので
芸能ニュースには詳しかった。

私は上の先輩たちから
彼女は座敷牢に
閉じ込められていたんだ
と聞いた。


兄弟が結婚する時は
分からないように

障害者がいるってことが
分からないように
隠されていたんだそうだ。


私は以前
中野区の総合病院に
勤めていた時にも

19歳の時からずっと
この部屋のこのベッドにいるの
っと言っていた
全盲の50台後半の女性がいた。


彼女の場合は約40年も
ベッドの家で過ごしてきたんだ。

病名は目が見えないこと。
私と同じ。


家族。
特に親の考え方ひとつで
同じ全盲の女子
平和な日本でさえも
こんなにもの差があったんだ。

目が見えないと
家を飛び出してやるうー
っと行動に出ることもできない。

今現在
こんな境遇にある人が
一人もいないことを
願っています。

2018年2月17日土曜日

義眼

「駅でね、男性に声かけられて、
ナンパみたいのされたんだよ。

目が綺麗なのに、目が見えないなんて
かわいそうですね

って言われてね。」

学生の時の友達の話だ。

お茶しませんかって。

いいな、私ナンパされたことないから、
すっごく羨ましかった。

「目が綺麗って言われたんだけれど、
私義眼なんだよね。

最近の義眼って、頭を傾けたりすると
それに合わせて黒目もちゃんと動いてくれるんだって。

だから焦点が合っているように見えるらしいよ。」

彼女は面白がって、
お茶飲みに行ったんだって。

で、また目のこと綺麗だ
って言われたんだけれど、
義眼のことは黙っていたそうだ。

彼女は私の手のひらに
義眼をはずして見せてくれた。

小さなスポイトみたいので瞼の下から
ビー玉の半分に切ったようなものを
取り出して見せてくれた。

真ん丸の球を半分にしたものだった。
つるつるしてガラスのような感じだった。

「ね、この義眼の目の奥どうなってるの?
目の中に指いれたら、脳とか触れるの?」

「まっさかぁ~。
耳の穴に指いれたような感じ。
奥にはちゃんと粘膜上の壁があるよお。」

痩せたり太ったりすると、
義眼がゆるくなったり
きつくなったりもするとのこと。

毎晩外してきれいに消毒したりするんで面倒らしい。

でも目が綺麗って言われると、
ありがとうっと言って
義眼のことは話さないでいるんだそうだ。

例え、義眼だって目が綺麗って言われたら嬉しい。

それに義眼は体の一部になっているんだから
あえて言う必要もない。

彼女も全盲だけれど
顔の中で好きなところは目なんだって。

どうして?って聞いたら、

みんなが綺麗って言ってくれるから。

義眼のおかげでなんかきれいでいられるようだから
って言っていた。

「ね、義眼だと玉ねぎむいたとき涙でるの?
悲しいとき涙でるの?」

「玉ねぎ切っても、
ちっとも痛くならないし涙もでないよ。

でもね悲しい時は
ちゃんと涙出てくれるんだよ。

悲しくて泣いているのに、涙出てくれなきゃ
泣きのテンション下がって泣くになけないよおぉ。」

私は目の神経を悪くしているんで、
玉ねぎ切っても涙はちゃんと出てくるけれど、
義眼の人たちはそういうことらしい。


盲人っといっても人それぞれなんだ。

2018年1月21日日曜日

かみついた!

私が学生の頃の盲学校では一クラス10人足らずの同級生しかいない。
埼玉県のあちこちから集まってきているのにたったこれだけにしかならない。
その中の生徒たちほとんどが弱視の人たちばかりだ。
私のようにまったくの全盲はクラスに日とりか二人しかいない。

高校生になってからクラスメイトになった弱視の男子で全盲の人ばかりに頭をたたいたり、背中をつついたり、叩いたり、紙くずをぶつけたりと、そんな幼稚なことして楽しんでいるのがいたんだ。
同じ盲人同士情けないことだ。

いっくら嫌がっていても、ハエや蚊のようにしょっちゅうやりにくる。
捕まえてぶってやろうかと思うけれど。
こっちが見えないと思って黙って音を立てないように逃げていってしまうんだ。
まったく頭にくる。

私は大声で文句を言って手を振り回して捕まえようとするけれど、たまにちょいとかするだけで逃げられてしまう。
周りの友達たちは笑っていてなんにもしてくれない。

そんなある日。ついにやった!
顔をつついて来たその手をうまく掴むことができた。

私は無我夢中でその素肌の腕を両手で掴むやいなや、がぶり噛みついたんだ。
噛みついてやった。。

今でも肉に歯が刺さっていく感触が残っているほどだ。
ギシギシ噛んだ。
ギューギュー噛んだ。

唇と舌が腕の皮膚に触れるのは嫌だから、くちびるにはぎゅっと力を入れて、引き締めておいて、舌はのどの方へと巻きこんでおいた。

「痛ててて!やめろ!離せ!」

ドスドス頭や背中にゲンコツが飛んでくる。
離すもんか、くやしい!

闘犬の噛み上手なピットブルなんかもこんな気持ちだ。

「ごめんごめん、俺が悪かったよ、もうしないから!」

と、やっと謝る声を聞いたんで離してやったんだ。

相当強く噛んだらしい。
血がにじんでいたらしい。

しばらく私の歯型が彼の腕にくっきり残っていたとのことだ。

それ以来、私たち全盲は幼稚な嫌がらせにイライラすることもなくなったんだ。

2017年12月21日木曜日

輪ゴム

私が中学生のときのこと。

学校で、近くの中学校だったかどっかのグループだったか、同年代の目の見える学生たちとのクリスマス交流パーティーが開かれた。

ホールに集まって、歌やゲームが行なわれて、サンタクロースまでほんとにやってきてくれた。
私たち、特に全盲の子たちは、サンタクロースのあっちこっちをキャッキャ言いながら触りまくって、自分のイメージとのすり合わせをしていた。

三角に垂れ下がった帽子の先にはボンボンがついていたし、顔には大きくて長いひげもちゃんとついていた。

大きな長靴のふちにはもこもこの綿がぐるりとくっついていたし。

そして最後、プレゼント交換の時がきた。

「お隣の子と二人ペアになって交換しましょう。」

わあわあ盛り上がって二人ペアが出来ていく。
あっちこっちのペアからプレゼントをほどくたびに歓声が上がっている。

ジリジリ、パチン!

私とのペアになってしまった上品なその子は、私のプレゼントをさっそく開いて、

「かわいい箱をありがとう。」

と言って、輪ゴムの音を立てた。

恥ずかしい。
輪ゴムの音が私の鼓膜を打つ。

プレゼント、ちゃんと買ってきておくんだった。
プレゼントに輪ゴム留めはない。

私が渡された、その子からのプレゼントにはリボンが四角にかかっていて、静かにほどいて紙を開くと、手作りの箱が現れた。

「これ、トナカイと雪だるまなんですよ。」

その子は、私たちが眼が見えないからと、わざわざ紙を切り抜いて、触って分かるように、箱のふたの上に貼ってきてくれたという。

箱の中にはハンカチとティッシュ、それもなにかキャラクターのものだった。

それと、リリアンで編んだ手作りのキーホルダーまで入っていたんだ。

先生から事前に、プレゼント交換があるから300円だったか500円だったか以内の もので、わざわざ買わなくても自分の持っているものでもよい、と聞いていたから。

私は寮でプレゼントを買いに街まで行くのは出来ないし、一人で行くのは面倒で。

自分の持っていた小さな小箱、それをプレゼントとしてしまったんだ。

寮母先生に聞いたら、きれいに拭いてくれたんでプレゼントでも大丈夫と確認はしてはいたんだけれど。

中には何も入れておかなかった。
空っぽだったのが恥ずかしい。

押入れの中にきれいに畳まれていた紙袋、なんの印字があったのか分からないけれど、それに入れて、リボンないから輪ゴムで留めておいたんだ。

輪ゴムの音が鼓膜を打つ。

「じゃ、何をもらったか聞いてみましょう」

司会者がクラスメイトに聞いている。

「わたしはハンドクリームを贈りました。つるつるのきれいな手になって、私たちにその手を差し伸べてもらいたいからです。」

どっと拍手と歓声があがった。

あとになって聞いてみたら、その子は通学している子だったんで、お母さんと買い物に 行ってきたって言っていた。

2017年12月19日火曜日

校舎

先日、30年ぶりに母校の盲学校に行ってきた。

目の見える人たちは、「目に焼きついていた風景」なんてよく言っているけれど、景色の分からない私はどんな風に感じるのか、楽しみだった。

「ここ、職員玄関。」

誘ってくれた友達が説明してくれる。

えっ?ここ、段だったよね。
下駄箱は木でできていたよね。

床はなだらかなスロープになっていて、下駄箱はもちろんスチール製のものにかわっていた。

ここ、左に曲がると…、そうそう廊下にざらざらの印があって、防火とびらの敷居があるよね…、あっないね!

昇り階段の手すりは丸いものだったのに、四角の木製に変わっている。
けれど、ちゃんと1階、2階の階数を表す丸い出っぱりは昔とおんなじ。

教室をつなぐ手すりはスチールの四角の手すりだったのに、円柱の木製になっている。
壁もつるつるできれいだ。

確かに私の手の指先と足の裏には焼きつけられた母校の感触が残っていたんだ。

手すりを触るまで分からなかったけれど、
廊下を歩くまで分からなかったけれど、
確かに指先に焼きつけられた昔の感触の風景があった。

リフォームされているけれど、廊下の幅やひんやりした感じ、声の響き。

足の裏と指先は昔の感触をちゃんと覚えていたんだ。

2017年12月18日月曜日

トランプ

盲学校では、学校でも寮でも、小学生から高校生まで点字のついたトランプでよく遊んでいた。

目の見える人たちとルールは同じだけれど、ただ何でも声を出してカードを置いたり取ったり捨てたりしていく。

7並べなんかだとダイヤの6!と言って全盲の子はカードを差し出すと、弱視の子が置いてくれる。

「どこまで出ているの?」

「うえはね~・・・」

と、言いながら読んでいってくれる。

戦争のときなんて、みんな大声で自分のカードの数字を言ってこたつの上の台に叩きつけていくから大騒ぎだ。

大貧民なんかは上がるたびに席が変わるから、みんな大富豪になったり貧民になったりの演技をしながら席がえしていくんで、その掛け合いも楽しいことのひとつ。

たまに寮母先生が入ってくれるとみんな大喜びだった。

寮母先生は大卒の若い人から、還暦に近い人まで色々だから、やっぱ若いお姉さんのような寮母先生が一緒に遊んでくれると、みんな嬉しかった。

2017年12月5日火曜日

校内

盲学校の敷地内には学校と寄宿舎の2棟があって、校庭や前庭、プール、体育館、あちこちに花壇、校庭の端っこにはすこしの遊具、体育倉庫なんかがある。

校内の移動は弱視の子は少し見えるし、慣れてもいくから白杖を持つ必要もない。

だけれど全盲の私たちも小学生から専門科の大人の人たちも、みな白杖を持ってなんか歩いている人はいなかった。

いまでこそ分からないけれど、40年前には点字ブロックなんていうのもそんなに普及していなかったから、校内にもなかった。

だけれど校内部屋の移動だって、体育館への渡り廊下だって、寄宿舎内のほかの棟にあったお風呂へだって洗濯場へだって杖なしで歩いていた。

ちょっと方向が分からなくなると、靴でパンパン地面を叩いたり、男の子なんかは指をパチリ鳴らしたりして、その響く音を聞いて今いる位置を感じ取っていた。

それこそ勘で歩いていた。

それでもひどい事故はなかったようだ。
慣れている家の中はもちろん白杖なしだ。

間取りがちゃんと分かっているから、目が見える人のようにチャッチャ動き回ることができちゃうんだ。

2017年11月30日木曜日

お医者さんごっこ

「脳波取りますよ」
「脊髄液取りますから背中出して、ひざを抱えてごらん。痛くないからね。」
「カテーテルいれますよ」
「採血、腕がダメだから足からにしましょう。」
「点滴、今日は2本かな」
「明日、オペですね」

私が小学生の時、寮でみんなでよく遊んだお医者さんごっこ。
私を含めて、ほとんどみんな病院で色んな検査や治療を受けてきている。

検査の経験が沢山ある子がお医者さんになれる。
専門用語がいっぱい出てくる。

採血を足から取ったという子。
どれだけ腕に針を刺されてきたことだろう。

脊髄液、確かわたしも取られた。
腰の骨のあいだから物凄い痛い注射をされ、何人もの看護婦さんたちが私に覆いかぶさって抑えつけられてやられた注射だ。

「私もしたよ、この検査。」

他にも何人かいた。
痛かったよねと、その時の話をしているうちに何となくお医者さんごっこはおしまいになっているんだ。

2017年11月28日火曜日

点字

70年代、私が盲学校小学部に入学した頃から弱視の子たちは普通文字で勉強をするようになってきた。
私たちの上の世代までは弱視でも勉強は点字でお行っていたらしい。

盲学校の先生たちは弱視の子たちが目を凝らして文字を見ていくよりも点字で読み書き出来た方が勉強の効率が良いと考えていた。
目の見えるところは生活視力として使っていけばよいという。

知識として文字を勉強すればよいと考えていた。
弱視の子たちには目隠しをして点字を学ばせていた。

だから夜だってルーペがなくたって拡大読書器が なくたって読み書きができた。
ちょっとでも見えると普通文字で読み書きしたいし親もそう願う。

でも、長いあいだ目を凝らしていると疲れるし読み書きも遅い。

パパ「夫」は高校生のとき、視野の狭い弱視だった。
曇っていたり、文字が小さかったり薄かったりして1ページを読むことが大変だったという。

全盲になったいま、点字で読み書きしている毎日。
点字を指で読むのはまだまだ遅いけれど、書くことは楽々だ。

高校生の時から点字を勧める先生に出会っていたならもっと本も読めたし勉強だって出来たかもしれないんだっなんて言っている。

2017年11月23日木曜日

かくれんぼ

「もーいいかい?」

「もういいよ。」

私は寮の部屋の扉を開けて、部屋じゅうあちこち触りまくる。

学校が終わると、小学生は部活もないから早々と寮に戻ってきて、みんなとこうして色んなことして夕食までの時間を過ごしていく。

私は押入れを開けて、おふとんのあんこになって隠れてはないかと、いちいち手を突っこんで探していく。
机の下、カーテンの中。

いくら探しても見つからない。

「みんな、どこにいるの?天袋は危ないから、登れないよお。」

カタリっと音がした。机の上だ。

私は机の上を端から勢いよく触っていく。

きゃあ!と言って、笑いながら畳のうえに飛び降りてくる。

みんなは、私が全盲だから机の上に音を立てずに立っていたんだ。

「ずるいよ!机の上じゃ、隠れていることにならないじゃない!」
わたしは抗議する。

「でもさ、見つけられないんだから隠れているってことでしょ?」

よくよく聞いたら、一人は私の後ろをソロリソロリ後をつけていたというし。
机の上をちょっと私が触った時は、静かにヒョイッっとヒョイっと足を上げて逃げていたと言う。

「それ、ひどいじゃない!ひどいよ!ずるいよ!」

弱視のお友達としたかくれんぼ。
大人のなった、いま。

ずるいっと今でも思う。
けれど、何が誰が、どうずるいのかが未だに分からないでいる。

2017年11月21日火曜日

すず

「一人で走ってみたいか?」

「はい、走ってみたいです。」

私が小学5年か6年の時のことだ。
新任の若い男の先生が、私たちのクラスの副担任になった。

先生はクラスの走るのが早い男子たちの肩の後ろ側に綺麗な音の鈴が2つついた安全ピンをつけてくれた。

「すずを目印に、両うでを大きく振って走れ!先生はすぐ横にいるから安心しろ。」

声の感じもいいし、話し方もカッコいい。
授業での工夫も色々してくれたから人気もあったし、私も大好きだった。

ざくっと校庭の土を蹴って、全員で7人で走り出した。
すぐ前で、聞こえていたすずの音がぐんぐん遠ざかる。

「うでを振れ!」

となりで先生がみんなに大声で言っている。

左の腕も精一杯振る。
前の逃げていくすずが、まっすぐ前と右まえの方と二つに分かれた。

「右だ!右の鈴を追え!」

あれ?と おもったら 先生の 声が とんできた。
校庭を丸く走っているからこうなるんだ。

走る前に、先生とみんなで小さな車を曳いてつけた白い線が見えてくるようだ。

お友達と手を繋いで、ゆっくり走っていると真っすぐなんだかカーブしているんだか分からないうちにスタートのところに戻ってしまう。
確かに私は今、丸い大きな円の上を走っている。

早い鈴はずっと横の向こうの方に消えていった。

「こっち こっち」

先生が手を叩きながら、ゴールで呼んでくれている。
息ははあはあ苦しかったけれど、全盲の私が一人で走れた。走ったんだ。

 「もう1回、行くぞ!」

みんなは嫌がっていたけれど。
走るの、わたしも好きじゃないけれど、このすず追っかけてならもう何度も行きたかった。

2017年11月7日火曜日

避難訓練

ジリリリリ

非常ベルだ。避難訓練の放送が流れている。

寄宿舎ではこうして寝ている間にも訓練がある。
とは言っても、起床時間の少し前だったりするから、みんなにとってもいい時間だ。

部屋は小学生だと1年生から6年生までの縦割りで、弱視の子と全盲の子とがうまく割り振られている5人か6人の部屋だ。

上級生がそれぞれの居室にある下駄箱のところに備え付けられてある避難ロープを持つ。

ほかのみんなは、さっとスリッパを履いて、さっと廊下に出て小さい子じゅんにロープを持って一列になる。

慌てているとスリッパがあっちこっちで分からなくなってしまう。

たいがいの盲人は手探りでスリッパを見つけるのが面倒だから、ほぼ脱ぐ位置が決まっている。
端っこは誰で、こっちの端っこは誰という具合できちんと揃えられている。

なので、目が見えている人のように自分の履きものに足を差しこむことができる。

大勢集まってしまうと、そういうわけにもいかずに座り込んで手探りしなければならないけれど。

「みんな掴まった?みんないるね?」

目が見えないから声で確認し合っていくから廊下はガヤガヤうるさいし、ごった返している。

発煙筒もたかれるから、本格的な訓練だ。

私たちはスリッパのまま指定された広場へ行って、部屋ごとに並んで報告をする。

話がおわると男子も女子も小学生も高校生も、ロープに掴まって一列になって部屋に戻っていくんだ。

2017年10月31日火曜日

白杖マナー

私が小学生低学年のとき。
どこか、遠足にいった。
私たちはベンチに座っておしゃべりしながらバスを待っていた。

「あっ!」

私の白杖が蹴り飛ばされて、白杖の上部が首だか頭だかを強く打った。

頭の上から担任の先生の怒鳴り声だ。
つまずいたのは先生だった。

先生は私の杖を取り上げると、
そのベンチから少し離れたところに立たせると、こっちへ歩いてきなさいと物凄い剣幕だ。

私はゆく手に杖が出されていることが分かっていたから立ちすくんでいた。

早く歩いてきなさい、と大声がとぶ。
仕方なく私は歩き始め、杖が斜めに出されているところでつまずいて、向こう側に転んだ。

椅子に座っているとき、うっかり長い白杖を真っすぐに立てておかずに
上部を肩にもたせかけて白状の先を通路の方へ出したままにするのはもっての外だと。

白杖は使わないときには必ず真っすぐに立てておかなければならないこと。
つまずいた先が階段だったりしたら非常に危ないこと。
また、座っていても白杖を立てていればそれが盲人の旗となって、周りの人に盲人であることを知ってもらえること。
人ごみの中、階段など足元が見にくいところでは特に白杖を振り回すように歩いてはいけないということ。

いつだったか非常に混雑していた駅の階段で
降りるところを確認しようとした時に、私の白杖の先がすくわれたっと思った瞬間、
叫び声が上がって、女性が階段から落ちてしまった。

鈍い音がはっきり聞こえた
もちろん私の白杖のせいだ。

「大丈夫ですか?」

少し先で何人かの人の声が聞こえる。

私は階段降りずに、息もできずに立ちすくんで耳をすました。
心臓と手首の脈がドキドキしているまま、時間がすぎた。

救急車がくる様子もなく、私が誰からか責められることもなく、目の前を大勢の人たちが向こうへこちらへと 移動の波は途切れることがない。
確かけっこう遅い時間だった。
慣れない丸ノ内線でのことだった。

私はひとり、誰に状況を聞いたらよいのか、ケガはされたのか、どうやって謝まったらよいのか、ただしばらく立ち続けていた。

バラバラと靴音が階段を降りていく。
何の変わった様子もない。

私は静かに階段を降りて耳をすました。
靴音と何人かの関係ない話声だけだ。

私はまたゆっくり階段を上がってホームに立った。
電車に乗って帰るしかなかった。

2017年10月24日火曜日

ほうき

私が小学1年生の時から生活していた盲学校の寮は6人部屋だった。

たたみ12畳に、作り付けの押入れとロッカーと机が6個づつ畳をぐるり囲んでいた。
窓は南向きで、ベランダに布団も干すこともできた。

大きな窓開けると、すぐ前の林の空気が流れ込んできて気持ちがいい。

小中高、各学部ごとに縦割りされているんで、きょうだいのような感じだ。

6時半、起床で点呼が終わると掃除が始まる。

私は、それっそれっとばかりにほうきを大きくスイングさせて、音高く畳をこすっていく。
みんなは、椅子を出したり引っこめたり、机の下の荷物を上に上げたりしてほうきの道を作っていく。

「あら!それじゃゴミが集まらないでしょ。」

廊下から寮母先生が部屋に入ってきて、私の手の上から先生の冷たい手を添えてくる。

ほうきを跳ね上げると、ほこりも一緒に舞い上がってしまうってこと。
ほうきの面をたたみに直角に当てて、ほこりを押さえつけるように静かに穂先を滑らしていく。

ほうきを送り出したら、ほこりを押さえつけるようにする。

先生がお手本を聞かせてくれる。
小さく優しいほうきの音だ。
さらさらとせせらぎのようだ。

ほこりは風が吹く時にだけ舞うんじゃなく、
乱暴に扱ったほうきの先でも舞い上がるんだそうだ。
それが朝日の中にきらきら見えるらしい。

盲学校の先生は私たちが出来ているようだけれど、本質がわかってないって所をちゃんと見つけてくれる。
気が付いてくれる。

こういう大切なこと、教えてもらえてよかった。

2017年10月17日火曜日

運針

てぬぐいが1枚づつ配られた。
長く半分に折って、むこうまで波縫いで真っすぐに縫っていく。

私は糸通しは得意だから、さくさくちくちく一気にむこうまで縫って先生に見てもらった。

先生は、シュウーっと糸をしごいてからテーブルに広げて、私の指を持ってヘビのようにくねくねした縫いあげた跡をなぞらせていった。

「真っすぐに縫いなさいっといったでしょ。
真っすぐに縫うためにどんな工夫をしたんでか?」

線を引いたって見えないんだし、どうしようー。

周りの友達はセロテープを貼って、その脇を縫っていく人や、
もう長く半分に折って、その山にマチ針をたくさん刺していってそれを目印に縫っていく人。
いろいろだ。

私はどれも面倒に思ったので、今度はてぬぐいの端っこから1センチ位のところをふちと針との間を指先の腹で幅を一定にするようにして丁寧に縫っていった。

結局、先生は私の方法を褒めてくださった。

「身の回りのことだって、社会に出てからったって困ることはたくさんあります。
どういう工夫をどんなふうに工夫できるかで、色んなことが便利になったり、ラクにできるようになったり自分でできるようになったりするんです」

あの当時はよく分からなかったけれど、確かにその通りだ。

会社では、エレベータに点字を貼らせてもらったから、一人でも大丈夫だ。
タッチパネル式のカギも、特別にカギを貸してもらってる。
家の中だって、印のテープや輪ゴムはあちこちにある。

これからもより良い生活が送っていけるように工夫を大切に考えていこう。

2017年10月10日火曜日

紅白対抗リレー

盲学校でも盛大に運動会が開かれる。

全校生徒だから、小学校1年生から専門学校の人たちまででチームを組んでいるから迫力があるし、盛り上がる。

紅白対抗リレー全盲の部は円周走でする。

弱視の人たちはバトンで繋いでいく一般的なリレーと、この全盲の人たちによる円周走は運動会最後のプログラムで大いに盛り上がる。

円周走で行うリレーとは、ちょうど時計の針のように中央に2本の細い軽い管の端っこを杭で固定して、
それでもう片方の端を持って1周づつ走っていく方法だ。

それが赤組白組ある。

その管の長さはどれくらいあったのか?
20メートルくらいだったかな?
一周で100メートル以上はあったような気もする。

リレーのバトンゾーンの数メートルのところに先生が何人か待機している。

全盲の選手は、時計で言うなら長針の端っこを左手で持って、ヨーイドンで背中を叩かれるんで猛ダッシュで 走っていく。

左腕はピンと伸ばして、持ち手を引っぱるようにして右腕だけ腕を振っていく。
遠心力を使って走れっと言う。

今ランニングを趣味としている私からみれば、とんでもないフォームではあるけれども、
誰の手を借りなくても自分の力だけで安全と分かっているところを思いっきり走ることができるから
目が見えたような気になれて最高なんだ。

風と自分の靴音がスピードを教えてくれる。
バトンゾーンに着くと、すぐさま2番目の選手の背中がドーンと叩かれ、短針の方の管のもち手を持って走っていく。

バトンゾーンに入ってきた選手は、先生に大声とともに抱き止められて応援の列のしっぽへ連れていかれる。 そこでへたれこんでいると、
次々にぜいぜいいわせた仲間たちが連れてこられる。

アナウンスしている先生の声もいよいよ大きくなって、説明も忙しくなっていく。

2017年10月3日火曜日

典子は、今

高校3年生とき、社会科の授業で「典子は、今」という映画を見に連れていってもらった。
サリドマイドの女性の話だった。

腕の短い障害をもった典子さんの生き方を描いたものだった。
典子さんの腕はなく、肩先から手のようなものがあるんだそうだ。

彼女は市役所の職員になっていた。
足で字を書いたり、お化粧をしたり、針に糸を通して縫い物もしていた。

キッチンと同じ高さの台に座ってカレーを作ったりもしていた。
一人で旅行もに行っていた。

新幹線の中で、見知らぬ隣に座った男性にお願いして、お財布を出してもらってサンドイッチを買って

「あの、食べさせていただけますか?」

と 言ってサンドイッチを食べさせてもらっているシーンがあった。

バスが揺れて、掴まれないから転んでしまっていたシーンもあった。

私の隣で説明してくれた担任の先生が、典子さんは悔しそうな顔しているっといっていた。

どんなにか悔しく、恥ずかしかったことだろう。
彼女は目が見えるから、なおさら辛かったことだろう。

サンドイッチとバスのシーンは今でもよく思い出される。

誰かが言っていたが、典子さんはママになって足でミルクを作っているんだと聞いたことがある。

みんなに見てもらいたい映画だ。

2017年9月26日火曜日

鉄線走

50年前の盲学校の運動会や体育の授業に鉄線走というのがあった。
鉄線が校庭の一角に50メートルかもっと長くか張られてあった。
その鉄線にラップの芯のようなバーがはまっている。
私たちはそれを片手でつかんで、端から端まで思い切り走っていく。
高学年になっていくほど、シューッシューッと鉄線をこする音が大きくなっていく。
それでリレーもした。

リレーをする時には、こっちから向こうへ走っていくと、
向こうでは鉄線の反対側で次の人が待っている。
走ってくる生徒を止めるのが先生の役目だ。

私たち子供は危なくはないけれど、高校生の生徒が思いっきり走っていくのだから先生たちはさぞかし怖かったことだろう。
大声と体で、生徒を抱き止めるんだ。
するとすぐに向こう側の生徒が鉄線を辿ってバーを見つけ、すぐに走りだす。
そしてまたこっちから向こうへと走っていく。
スピードがあってみんな燃える。

盲学校は小学1年生の7歳から、中学、高校、マッサージや鍼灸の専門科25歳くらいまでの生徒たちが縦割りで運動会をするので、リレーは、最初は小さな小学生から始まって最後は大人たちで終わっていく。

周りで応援する私たちもアナウンスがなくても、シューッシューーの音と靴音で分かるから盛り上がり声もおおきくなる。

いつのまにか消えていってしまった競技だが懐かしく思い出される。

2017年9月21日木曜日

ビーチボール

私が高校生のときだ。

盲学校の近くにある大学から、ボランティアの学生がたくさん来ていた。
放課後外で遊んでくれたり、行事のお手伝いや杖歩行の練習など活躍してくれていた。

仲よくなったお姉さんたちから誘ってもらって、日曜日にドライブに連れていってもらった。

お姉さん、お兄さん達に混ざって車に乗せてもらって、ずっと遠い河原にいった。

お姉さん達は、お弁当をたくさん用意してきてくれていた。
ケーキやクッキーなんか手作りで持ってきていた人もいた。

私はただお客さんだから、紙皿と紙コップ渡されて色々ごちそうになった。

学生たちは、よくしゃべり、よく笑っていた。

私は気おくれしながらも、仲間に入れてもらっていた。

ランチが終わると、誰かがビーチボールを出してきたのでバレーボールが始まった。

私は荷物に囲まれて、ビーチボールが打たれる音と学生たちの声をぼんやりと聞いていた。

すーっと、糸のように細い涙が落ちてきた。

ここでは、絶対に泣いたらだめだ。
優しいみんなが嫌な思いをしてしまう。

まぶたをぎゅっと大きく開けて、目を乾かした。

またすーっとおちてくる。
ダメダメと、手の甲でギューギュー目をつぶしてみる。

しばらくして、突然

「ごめんね。」

お兄さんが私の肩に手を置いて静かに言った。

その声聞いたら、一気に涙が溢れてしまって止まらなくなってしまった。

いつのまにか、みんなも集まって来て黙っている。
しばらく背中をなでられていた。

「今度はさ、ユーフォー踊りやろうよ」

お兄さんが大きな声でいった。

やろうやろう

私を引っ張って、踊りの輪の中へ無理矢理に連れて行かれた。

「葉巻型ユーフォー、タコ型ユーフォー、洗濯板型ユーフォー!!」

みんな優しい!

優しいから、泣きたくてたまらない。

何もなかったかのようにして大笑いしながらユーフォー踊りは続いた。

2017年9月19日火曜日

関数

関数の勉強だ

全盲の私達に図盤が配られた。
初めて見る。

30センチほどの四角い木の板で、厚さは1センチちょっとくらいのものだ。
板の表面は縦と横に溝が網目上に彫られてある。

次に、釘のようなものが配られた。

その釘を 網目上の十字路のところに刺していく。
この溝がx軸、y軸は縦だ。

xが1で、yが1…

溝を辿りながら、言われた所に釘を刺していく。
釘が行儀よく斜めに1列に並んだ。

次に輪ゴムが配られた。

釘の列の端から端へ輪ゴムをかける。
正比例のラインができた。

問題が難しくなっていくと、この釘を刺しながら説明をしてくれる。

テストの時も、答えを釘で表してから順番に先生の所に持っていって採点してもらう。
この盤を使って、関数の勉強をしていった。