2018年1月4日木曜日

とげ抜き地蔵

「けぶに当たると悪いところが治るんだとよ。」

人ごみの中かき分けて、もうもうとお線香の煙で息苦しいようなところに連れていって、しばらく私を立たせておく。
私はお線香の匂いも煙も大嫌いだから早く逃げ出したいのだけれど、母は何としても私の目を煙にしばらく当てておきたいらしい。

それだって母だって私だって私の目がこんな煙ごときで治るはずもないって分かっているのに毎年こうやってここに連れてくるんだ。

とげ抜き地蔵は誰から聞いたのか、本当のことなのか目を治してくれる有難いお地蔵さまらしい。
いくつもの大学病院で診てもらって、高熱で目の神経が焼かれてしまった私の目が治るはずもないのに。
去年も来て、効果がなかったって分かっていたってまたこうして遠くここまできているんだ。
毎年大勢の人たちがこのお線香の煙に当たりに来ている。
他の人たちもどこか悪いとこあって治ることはないって分かっていながら私のようにここで煙にあたっているんだろうか?どうしてなんだろう?

「痛い思いしなくってよ、目が治りゃいいんにな。」

ぼそぼそ言っている母。
そうか。母はここで私の目が治った夢をみているんだ。
目が見えた頃のことを思い出しているんだろう。

私は飽きてしまって仕方がなかったけれど、「いぐべ。」の言葉を待った。

それにしても歩けないほどの混みようだ。
巣鴨駅までの路地の左右には色んなお店も出ている。

「でで!安いがなあ!」

母ははしゃぎながらは大袋のかつお節やら昆布なんかの乾物の袋を触らせていく。
ワゴンにはあったかそうな下着が山とつまれている。

今年も母はあれやこれやどっさり買い込んでいくから私も大きなその荷物の袋を持つのを手伝って、大勢の人に荷物をぶっつけながら駅へと向かってゆく。

私が触って面白いような可愛いようなものは何もないし。
そうここはおばあちゃんの原宿っていうらしい。

買い物に夢中になってあれこれ吟味しているから私は退屈でたまらない。
でも寮に入っているから地元には友達が一人もいないから同世代の子たちと出かけることも遊ぶこともできないから退屈とはわかっていても期晴らしに母にくっついてきてしまうんだ。

こうして子供のころの私の新年は明けていった。

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