私がハリ灸マッサージの専門科を卒業する時には妊娠5カ月になっている。
待ったなしで結婚だ。
学生のうちにできるだけの全盲家族の情報を知っておきたかった。
同じクラスには弱視の子がいて、その子のお父さんは全盲でお母さんは弱視だ。
だから普通の母親たちと同じように週末寄宿舎に来ては、布団干したり洗濯をしたりしている。
全盲の母親が来ているという話は聞いたことがなかった。
色んな先輩や先生たちに聞いてみたんだ。
弱視の親たちは結構いるようだった。
小学部に全盲の夫婦に育てられている全盲の女の子がいると聞いた。
その子は通学していたんだ。
授業参観か何かで学校にきていた母親は、全盲の小学生のその子の手を引いて川越駅を歩いていて、ちょうど階段降りる時にその子がつえを落としてしまった。
その近くに先生はいたんだそうだ。
つえを拾いに下まで急ぎ足で下っていると、その母親が地下道いっぱいに響き渡るほどの大声で
「何してんだ!落としたら拾えないんだよ!」と、次から次へと怒鳴っていたとのこと。
「目が見えれば物を落としたってすぐに拾えるけれど、彼女たちは拾えないから、必死なんだね。気持ちに余裕がなくなってしまうんだろうね。」
その話をして下さった先生はそんな風に言っていたんだ。
私だったら?
私も大声でどなっていると思う。
だって私も子供も拾うことが出来ないんだから。
でも私はこの言葉を今、55歳になっても忘れることができない大切な話として覚えているんだ。
あのとき私はこんな風になっちゃいけないって。
もの落としたって誰かに拾ってもらいましょうと落ち着いて言えるお母さんになりたいと、ならなきゃいけないと誓っていたんだ。
別の先生から全盲の夫婦の家に遊びに行って、焼きそばをごちそうになってきたという話も聞いた。
「美味しくできていたんですか?盛りつけは誰がしたんですか?」
私は間もなく来る、家庭というものが不安で不安でたまらなかったんだ。
「ちゃんとお盆に乗せて、綺麗に焼きそば盛られてきたし、お茶だっていれてくれたのよ。あじ?そりゃ美味しかったわよ。料理をするようになれば、どれくらいソースかけるかなんてわかってくるから大丈夫よ。
本当かな、それは私にもできることだろうか。
また、図書館で全盲の人が書いた子育て本があったので見つけては読んでもみた。
赤ちゃんがハイハイするようになったら、危ないから毎朝床を雑巾で拭いて確認していると書いてもあった。
雑巾拭きか。
これも苦手で好きじゃないけれどするようにしなくてはだ。
また聞いていくうちに、全盲夫婦だけで暮らしているんじゃなくて、若い時には親たちと同居してたりするのが多いようだ。
私はいやだ。
親とは同居したくないから何としても自分で自分なりの工夫とアイディアで乗り切っていかなくっちゃならないんだ。
こんな風にして彼と一緒に生活する前にから意識を高めていっていたんだと思う。
そうして始まった生活だ。
無我夢中というのは不安を忘れさせてくれるのかもしれないって今ごろ思っているところだ。
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