2018年3月1日木曜日

転落

人は死ぬ瞬間、
自分の生きてきた過去を
瞬時に思い出すと言う。

私は、左足を踏み出した時、
そこには空間しかなかった。

右へ体のバランスを戻す間もなく、
体は左側を下にして、
八ヶ岳の山間の空中に横たわっていた。

悪い事に本能で左手が
私のサポートをしていてくれた人の
リュックに張られていたロープを
握ってしまっていた。

ざかっ。

と音が聞こえたから、
道ずれにして引き落としてしまった。

左手の手のひらに
強くロープの跡が残っている。

ロープはすぐに強い力で
飛んで行ってしまった。

なんの声も聞こえなかった。

お天気は良かったけれど、
雪山だからマイナス気温だったはず。

冷たい縞枯の空気に抱かれながら、
空中で横になっていた。

私は間もなく死ぬんだ。
ガイドさんも死ぬんだ。

飛び降り自殺する時には、
地面にぶつかる前に気絶しているから
っとも痛くないんだ。

なんて嘘だ。

逆に、体中の細胞全部が目覚め、
耳と皮膚感覚の感度が
全開になってい
何もかもが分かる様だった。

本当に瞬時に、
これまでの事を思い出して
その思い出を触っているようだった。

生きていて良かった。
みんなありがとう。

っと体中の細胞達と
静かに呟いていた。

叫ぶようなこともなかった。

最後の最後。
きっと綺麗なんだろう。
八ヶ岳の山々。それと空。

一瞬でも見えたらな。

なんてそんなことまでも思う事もできた。

私は、雪でふわふわの川底にいた。

どうやら手すりのない橋から落ちたらしい。

川底は降り積もった雪で、
ふわふわだからけがなんかどこにもない。

高い所から登山仲間たちの声がする。


生きてる。

いきてる。

しかも怪我してないし、
痛いところもない。

ただただ
そこは川底にふんわり雪が
積もっているだけだから
這い出そうと動くたびに、
ずぶずぶと雪の中へと
沈んでいってしまう。

雪地獄だ。

生きていると分かったら、
「助けて助けて」
と私は大騒ぎ。

動くな。

っと言うから、
じっとしていれば
ずぶりずぶり柔らかい雪の中へと
沈んでいく。

こわい。

ここで吹雪いたら八甲田山だ。

仲間たちが私を救い出すために、
大慌てしているのが聞こえてくる。

死んでなくてよかった。

雪が私を助けてくれた。


またつれてきてもらおう。

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