私の父の時は、
病院に呼ばれて行った時だった。
息を引き取る寸前だったので、
もう苦しかった時を
乗り越えた後だったのかもしれない。
酸素マスクの向こうで、
大きな深呼吸を一つしてから、
死にましたと聞かされた。
父は脳卒中で30年も入院生活をしていたので
最後はずっと点滴をして貰って、
眠り続けていた。
眠っている間でも苦しいかったんだろうか?
私は過去に全身麻酔をかけて、
手術したことがある。
三つ数を数えたら、
なにも分からなくなってしまった。
痛くもかゆくもなかった。
父は投薬され続けていたので、
きっと痛いことはなかったんじゃないかなと思う。
大きないびきをかいて、
天国に行けたんだもの、
良かったよね。
お父ちゃんっと思っている。
「生命を維持することが善である。」という西洋医学の思い込みはそろそろ見直してほしいなあ、と思ったりします。まあ、患者のほうから医者にかかりに来たんだから、ほっとくわけにも行かないでしょうが。
返信削除それにしても、もし生きることの意味が謙虚になることであり、そのきっかけが感謝だとすれば、それは生命を維持させる「生きる」とはやっぱり違うんじゃないかな……とか、ぼんやりと思うんですよね。……で、ぼんやりと思ったあと、最後に『ま、……いっか。』ってなるんですよね(笑)。『ま、いっかなんていうそのテキトーでアバウトなところがいけないんじゃないのか?』……しばしのあいだ自問自答。自問自答していたら、なんだか疲れてきて『……ま、いっか。』ってなっちゃうんですよね(笑)。byせいた